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第一章 発症の原因

●第一章  発症の原因

 

 私はこの日を決して忘れることはないであろう。私のある意味命日であり、第二の誕生日でもある。
1995年5月14日(日曜日)この日、久しぶりに大学時代の友人たちと顔をあわせた。
久しぶりに会う仲間もいてそれはそれは楽しい時間であった。
しかし、暗転これが地獄の始まりであると私は予想できなかった。
行かなければ良かった。誰かが止めてくれていたら、何か所用ができ行くことが出来なかったら。

こんなことにはならなかっただろうに。

 その後、散会することとなったが、久しぶりに会ったのである。このまま帰るのはあまりにも口惜しい。

当然二次会へと足は向くことと成った。
この時、何人かは自分の車で来ていた。中には新車で来ていた友人がいて、二次会先に向かう前に試乗し運転をさせてもらったの

を記憶している。この車が私を地獄に追いやる”使用上の凶器”となるとは予想していなかった。
 二次会先に向かうにあたり、この車に便乗していくこととなった。
運命を選択した。”使用上の凶器”を選択した。なぜ私は他の友人の車に乗らなかったのだろう。
運命は、こうした単純な選択からかわっていくものである。
問題は、この運命をどのように捉え変えていくかにかかっていると今は実感する。
しかし、当時はわかるわけも無い。

 加害者(友人)の運転する乗用車に好意同乗、時はやってきた。音も無く忍び寄ってきた。
友人のハンドル操作ミスとスピードの出し過ぎと雨上がり直後だったこともあり、スリップ、スピンして右折時に中央分離帯に激突。
結果、車中で私の体は振り回されドアトリムに左側頭部を強打。そのため頭部頚部挫傷。
現場検証の結果、激突時の速度約80Km/h。普通なら即死だと思われる。
加害者(友人)の話だと修理したそうだが、車両は、殆ど全損の状態であった。
前輪タイヤは左右とも、完全に"ハの字"状態。前輪シャフトは折れ、押すと異音がして真っ直ぐ進まない。
 その事故の際、私は後部座席に座っていたため、シートベルトを装着していなかった。
後部座席に着席しても、必ずシートベルトは装着してください。現在は後部座席も装着義務となっている。
正面衝突ならばシートベルトしていなかった為、前席を飛び越えて、フロントガラス直撃だった。

側面衝突だったので助かったのだろう。不幸中の幸いとしか言えない。
眼鏡が割れたが、破片が目の中に入らず、また単独事故で、これも不幸中の幸い。
もし歩行者や他の車両を巻き込んでいたらと思うと想像するだけで空恐ろしい。
全く晴天の霹靂である。

 一時期は、記憶が解離していて当時の状況を思い出すことが全く出来なかったが、今ははっきりと思い出すことが出来る。そう走馬灯のように、車体が中央分離帯にゆっくりと迫り、激突していく。私はなすすべも無い。

一瞬のことなのにこんなに時間はゆっくりと流れるもなのだと感じた。
死とはこんなに簡単に訪れるものか、と思った瞬間、目の前が真っ白になった。
死んだ。と思ったが頭部頚部に激痛が走り気がついた。
滴り落ちる自分の血で我に返った。「一応生きてるな。」と思いつつ痛い患部をおさえながら車から脱出。

炎上でもした大変である。妙に冷静な自分がそこにいた。

 近くのガソリンスタンドに入った。
笑うのは、この時加害者である友人はただオロオロしていて、怪我人の私に指示をあおいだことである。

警察に連絡、JAFに連絡し自宅付近の修理工場までレッカー移動、損害保険会社に告知、自宅に連絡、救急車。救急車は結局呼ばなかった。友人が加害者ということがあって私は遠慮したのかもしれないし、痛みも直ぐ引くと安易に考えていたからかもしれない。今となっては何とも言えない。
事故がおきたら、擦り傷でも直ぐに救急車を呼んだほうがいい。
目の上を切っていて、血が出ていたので止血した。この時は心の傷までは止血できなかった。

激突した、車両を近くのガソリンスタンドの方のご好意で置かせてもらうことと成った。
この時、移動するため押すのを手伝ったかどうかは、覚えていない。

 帰る手段を失った私は、近くの駅まで歩き電車で帰った。電車を待つホームで雨空を見た。
最寄駅までは自分の車で来ていたが運転できるわけも無く、同じ車両に同乗していた別の友人に頼み、自宅まで運転してもらった。
この同乗していた友人は、前席に座っていてシートベルトをしていた。彼には怪我は無かった。
心の傷も今のところなさそうである。同じ事態が発生し再体験した場合は分からない。
この友人が後にキーパーソンとなる。

 初め物損事故としたが、痛みに耐えかねて人身事故に切り替えたので、日を改めての実況見分となった。

警察に行くにあたり、朝早く行かなくてはならないため、加害者がホテルをとってくれた。
夜9時には寝てしまったのを覚えている。翌朝起き、別室にいる加害者の部屋に電話した。
加害者は寝起きの声だったのを記憶している。私の方が早く起き、ご丁寧にも加害者を起こしてあげたのだ。

呆れて物も言えない。
沈痛な面持ちで、警察に向かい証言した。警察官は丁寧だったのは覚えている。
重々しい空気の中、淡々と事務処理は進んだ。何をどう話したのかはよく覚えていない。
無理も無い。痛みのほうに気を取られていたからだろう。まあ思い出したくも無いのでよかろう。
現場検証のため、次に事故現場に向かった。益々重々しい気分になったのを記憶している。
揺れるワンボックスカーの警察車両。この揺れが事故の際の揺れを思いおこさせる。
現場に到着。加害者が事故状況を説明する中、私は一人帰宅した。
この日も電車を待つホームで雨空を見た。

これが、原因の全てである。

私は、加害者に対し事故直前、スピードを出すように煽ったりしていない。
むしろゆっくり走るよう言い、車間を取るようにも言った。

加害者三重県桑名市で税理士をしている。

  交通事故は、日常茶飯事に発生している。
車は自分の好きなところに行き、楽しい思い出をつくったり、買い物に行き荷物を運ぶための道具である。

決して人殺しの道具ではない。しかし使い方を間違えれば”使用上の凶器”となる。
交通事故は一日にして人の運命を変えてしまう。
道具の使い方を知らない人間が使うな。使う前に説明書をよく読め。読めないなら運転するな。
免許を取るとき何といわれた?。安全運転しろと再三言われただろ。言われなくても分かるはずだ。
飲酒運転するな。飲めば事故を起こす確率が高くなるのはあたりまえだ。
そんな単純なことがわからない人間が、大人の面をして子供たちに教育するな。
平成14年6月、道路交通法が大幅に改正された。飲酒運転に対する罰則の強化である。
飲酒をして運転するなど論外である。私のような被害者を作り出さないでもらいたい。
事故を起こして死ぬのなら、勝手に一人で死ね。他人を巻き込むな。


§恐怖

”ご存知無い方、あなたが明日そのPTSDになる可能があるのです。”と私は序文で書いた。
ここにその根拠があるのだ。
そう、事故や災害は突然やってくる。恐怖は音も無くそっと忍びよってくる。
自分がきちんとしていても、非が無くても全く関係ない。
アメリカのテロ事件を考えて見てください。
完全に無差別大量殺戮事件としか言いようがない。民間機に搭乗していた人やビル内で仕事をしていた人に何の非があるのだ?。何も悪いことなどしていない。
あなたはこれでも絶対大丈夫と言い切れますか?。そんなのは驕り高ぶりだ。その根拠は何ですか。
その考え自体非常に荒唐無稽なものである。
この世の中に絶対と言うことは無い。あるのは”絶対”という言葉だけだ。 

豪放磊落に立ち回り、栄耀栄華を誇っていても何の意味も無い。

一代にして財を築いても死んでは持っていけない。
大切なのはお金だけではない。地位だけでもない。名誉だけでもない。愛だけでもない。

必要なのは恐怖に立ち向かう勇気と自分を信じる心と自分を支えてくれる人たちの存在である。  

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