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第五章 PTSDの私の場合の治療方法について

●第五章 PTSDの私の場合の治療方法について

 

 私の場合の治療方法は、主として対症療法で有るところの薬物療法と標準精神分析法である。のち心理療法を受けることになる。
薬物療法の変遷である。

※1996年頃
 抗うつ剤(アナフラニール)と抗精神薬(ドグマチールで)と催眠導入剤(レンドルミン)の投薬。
 今にして思うとあまり、効いているという感じはしなかった。
 効果としては無理矢理に気分を高揚させられている感じがした。

※1997年頃
 抗うつ剤(アナフラニール)、クロナゼパム製剤(リボトリール)を使用していた。
 リボトリールは主として、てんかんに使う薬だが、何故か当時の私には良く効いた。
 私はてんかんではない。また事故以降てんかん症状は全く出ていない。現在も問題ない。
 副作用が有るので、定期的に血液検査が絶対必要。肝機能障害がでる。
 この頃、バイオノーマライザーという機能性食品を併用した。
 バイオノーマライザーについてはここをクリックしてください。詳細に記述してあります。

※1998年12月から2000年4月まで
 抗うつ剤デジレルと抗不安剤コンスタン。
 デジレルは、当時まあ効いていたと思う。しかし2000年に入り副作用が酷く、異常な眠気とけだるさを催すようになった。

※2000年5月頃
 選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)のマレイン酸フルボキサミン(ルボックス)と抗不安剤コンスタンである。
6月には同じく選択的セロトニン再取り込み阻害剤の一種である販売名パキシルを試したが、酷い頭痛に襲われ中止した。

パキシルの詳細については、別サイトを参照されたい。

低髄液圧症候群を疑い、総合病院に入院し、脳神経外科でCT,MRIで検査したが全く異常なし。

PTSDにありがちな、いわゆる海馬の萎縮など一切異常なし。脳神経外科の部長に「きれいなもんです」と言われた。

※2014年頃
 ロラゼパム、アモキサン朝晩1錠、漢方(ツムラ16、26)服用。

 

※2016年頃

 エチゾラム、アルプラゾラム


なお私は、薬物を個人輸入したことはない。
また、現在ルボックス、デプロメール、パキシルは現在日本でも医師の処方箋により使用できる。

今は、疎隔体験(ベールを通して見ている感じ。医学的には離人症と言う。)があり辛い。
これは薬物では治りにくい。最近では、ほっておくことにしている。
確かに気にはなるが焦っても良くなるわけではない。
近年の病態としては少なくなる病態であるらしい。
私の場合、ある日朝起床してみると意識がぼんやりしているの気づいた。
これが離人症という病態であることに気づいたのは、かなりたってからのこと。専門書を読んでいくうちに理解した。
どうも離人症は論理的解釈を司る左脳に幾ら刺激を与えてもだめなようで、つまり臨床心理学や認知心理学の本をひもとき

非現実感について調べても無駄ということだ。そうではなく右脳、感性に働きかけた方が良いようである。自然に親しんだり

スポーツをしたり、好きな音楽を聞いたりか。今はそうしている。そのうち消えてなくなるでしょう。

一種のよい意味での諦めに似た感じである。
それでいいのです。別に死ぬわけではないのだから。
また、離人症の多くは他の精神症状の合併症状だそうだ。ただし単独でなることもある。
なぜ合併するかの理由は、文献等によれば「他の精神症状」に対し、酷く病的な防衛機制として発病するためだそうだ。

換言すれば「他の精神症状」があまりにも耐え難い為、その現実逃避行動として、また自我が用いる手段として離人症を

惹起するのということらしい。つまり心の本能的防衛制御反応と言う事に成る。PTSDの場合ならば、意識的に思い出さない

ようにし、思い出させるような状況を避けるようになる。
また心的外傷は意識から遠ざけられ分離されてしまう事もある。
これにより通常は必要な心の動きである感情、知覚(この感覚の欠如が離人症を起こします。)

意欲が心的外傷とともに切り離される。よって離人症が惹起される。
しかし離人症そのものは病的な物とはみなされず、健康な方でも疲れたときなどに出る事がある。
私は単に現実感が消失しているだけですから、私の感じている感覚とは違いがありますが、体験者の方の手記を記載する。
お名前は勝手ながらプライバシーの問題があるため伏せさせて頂きます。
情報提供有り難う御座いました。この場を借りて御礼申し上げます。

 

外界離人症の体験をまとめる。 

1.外のものがすべて灰色に見える。しかしながら色は認識可能。

2.外のものにカエルの卵のゼラチン質のようなベールがかかっているようにみえる。

3.外のものが意味のあるもののようにみえない。
例:リモコンをみても、よく考えないとそれがリモコンだとわからない。

病識(病気だという自覚)はある(そりゃ1や2や3からすれば当然で しょう)。また、狂気になっているわけではない。

つらい。(でも私の場合もとの症状のつらさと区別することはできなかった。しかし、単独の離人症もつらいそうです。)

 これらは私の体験であり必ずしも一般的でないことをお断りしておきます。

ちなみに、離人症から開放されたときの体験も書いておくと理解の一助になるかもしれませんのでかきます。

 

自転車に乗っていたとき急に辺りの木々や花にフルカラーがもどってきた。ベールがとれた。

音楽が久しぶりに生き生きと聞こえた。音楽を聴くと視覚的イメージが心にうかんでくる。

それでも元の「精神症状」は変わらず苦しい。

 

§想起と喪服追悼


 起きてしまったことは、今更どうしようもない。過去の忌まわしい事柄とは決別する。
そして今新しい自分を見出したことに、生きる力を見出した自分がここに居る。
過去の自分よ、さようなら。私は1995年5月14日(日曜日)に一度死んだ。
この日は私の命日であり、第二の誕生日でもある。
加害者の友人には会いたくない。私を傷つける人たちとは決別する。
私たちは、現在と未来を生きているのだ。過去を生きているわけはない。
悲しみよさようなら。

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